タイプフェイスコンテストに応募したきっかけ
1969年10月頃のことです。
当時、私はフリーランスで広告、印刷物、乗用車の取扱書の説明イラストなどの仕事をしていたのですが、あるとき、乗用車のイラストの発注担当者が『アイデア』誌に掲載された「石井賞創作タイプフェイスコンテスト」の募集広告を私に見せて、「これ、応募してみたらどうですか」と薦めてくれたのです。
締め切りまで3ヶ月ほどでしたが、応募してみようと思い、ラフ案を書き始めました。
始めのうちは「タイポス」にとらわれた字形を考えましたが、写植字詰めの経験から“詰めなくても使える文字”をテーマに、1cmのグラフ用紙にシャーペンで1字の上下左右を大きめに文字を書いていきました。それがのちのナール体です。
なぜ、ナール書体を作れたのか
なぜ、あのとき「ナール」をつくることができたのか? いまでもそんな疑問を持つことがあります。
なんの根拠もなく、突然できるものではないはずです。
私が、石井賞創作タイプフェイスコンテストに応募するまでの体験を記述します。
1・中学校卒業後、看板業の見習い弟子になる
看板店の仕事は、おもにトラックやスクーターのボディに文字を書くことと店頭看板の製作でした。
以下の写真は、木版を切り抜いた看板と、切り抜き文字を店頭壁面に直接、貼りつけたものです。
文字は店主・藤田美義氏の書いたもので、弟子の仕事はチョークで文字の割りつけと、師匠が書いた文字を金色で縁取りすることでした。本体の文字は書かせてもらえませんでしたが、毎日見ていたことで師匠の字形は記憶しました。その記憶がその後の書体づくりの基盤となっています。
2・テレビ局のテロップ(字幕)書き
テレビのテロップは、12.6cm×10.2cmの用紙に書きます。
スーパーテロップには黒用紙、ライブテロップにはグレー用紙を使い、動画映像の上に白文字として映し出されます。
この仕事も、のちのナール書体作りに相当役立ちました。
3・デザインスタジオでの写植文字の字詰め作業
印刷の版を作るためのデザイン原稿(版下とも言います)をつくる作業を2年半ほど行ないました。
1960年代の後期から、デザイナーの間では文字の字間を詰めることが流行していいて、ほぼ毎日、写植文字を1字ごとに切って詰めながら貼り、5~6mmの文字まで詰めました。
この作業が後のコンテスト応募作品に大きく影響します。ふと、“詰めなくても良い文字が作れないものか。それであれば版下作業が短時間でできる”と思ったのです。
4・応募作品への取りかかり
文字は本来、個々の字形を主眼としています。
しかし、私のコンセプトは“詰めなくても良い文字”だったので、文字と文字との間、つまり字間を主体にしました。
文字を詰めずに使うためには、1字が正方形ほぼ一杯でなければなりません。そこで最初はグラフ用紙の1cm枠に書き、これを元に48mm正方形の台紙に本書きをしました。
コンテストで1位受賞、そして制作へ
コンテスト結果を知らせていただいたのは、1970年4月1日、写研・広報課からの電話でした。
そのとき私は不在だったので、翌日、写研へ電話したところ、“1位に入選”と知らされ大変驚きました。
4月に写研本社へ面接に伺い、5月中頃には大日本インキビルで行なわれた表彰式と展示会に参加しました。
その後、石井裕子社長(当時)と名古屋駅近くのホテルのロビーで再会してスケジュールなどを決定、7月から制作に入りました。
制作にあたっては、若いスタッフ2人に来てもらい、3人で書き始めました。
原字を書くための48mm正方形用紙は、自分で紙質を選び、ブルーで方眼を印刷したものを使いました。筆やロットリングでの書きやすさを思ってのことです。
ところが3人でスミ入れ(黒書き)をすると太さが微妙に違ってきたり、「口」部のコーナーの丸めかたが違ってきたりしました。その修正を私がやるのですが、新たに書くより時間がかかりました。
“これでは5,800字の制作は不可能”と思い、それまでの仕事(イラストは後任が見つかるまで継続)をすべてお断りして、私1人で書くことにしました。1ヶ月400~450字の仕上げです。
同一のものを複数人で作ることの困難さを痛感するできごとでした。
しかし、1人で書いていても徐々に字形が変化することがありました。
写研から「字形が変わってきている」との指摘を受け、約1,000字の書き直しが発生したこともあります。
それ以降は、字形サンプル8文字ほどを机上に置き、形や太さが変わっていないかを常に比較しながら制作を進めました。
こうしてナールは完成し、1972年に発売されることとなりました。
家では朝日新聞を購読しており、新聞の広告欄にナールが使われているのを見付けると切り抜いて、スクラップブックに収録しましたが、使用量が多くなってきたので新聞の縮刷版を買うことにしました。しかし、それも冊数が増えて収納場所に困るようになりしばらくして、収集自体をやめました。ナールが使われることが普通に感じるようになりました。
私が作った写研書体
30年間で制作した書体数は16種です。
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1…ナール:コンテスト応募作品。
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2…ゴナU:石井社長からこれまでにない極太角ゴシックの試作をつくってほしいと言われ、漢字14字・かな5字・カナ5字を思い切り太くして提出し、採用された書体です。
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3…ナールD:ナールの原寸で印画紙に薄グレーで焼き付けたものを太めました。
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4…ナールE:ナールDのグレー印画紙を太めました。
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5…ゴナE:新たに下書きから書いたものです。その後の制作順序は定かではありません。
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6・7…ファン蘭B/E。写研の社名ロゴを書体化したいとの意向で作りました。縦線の先端、横線の4カ所で角を丸める必要があるためです。ほかの文字の3分の2の字数しか書けず、最も時間がかかった書体です。
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8・9…ナカフリーL/Bは、私の妻・昭子が普段書いているペン文字を元に書体にしました。
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10・11・12…ナカミンダ B-S/U-S/B-Iは、斜体(B-I)を主案として出しましたが、正体(B-S/U-S)も必要とのご意見で両方作りました。
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13…ナーカン。超太の筆文字系書体です。
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14…ナカゴしゃれ。黒ベタ文字の単調さをなんとかしたいと白線を入れました。
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15…ナミン。明朝体とゴシック体の中間的な文字ですが、ステンシル系で特徴を出しました。
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16…ゴナライン。最後に作った図案文字系の書体です。
書体創作の手がかり
そもそも、「書体」とは、「字体」とは何なのでしょうか。
「字体」は画数による文字の成り立ちで、「体」そのもののこと。
「書体」は、字体の「体」に衣服をきせたものと考えています。
衣服には、ファションショーで見る斬新で奇抜なものから、フォーマルなもの、カジュアルなもの、ラフなもの、さらに日常着まで無数にあります。であれば、字体の「体」にもあらゆる衣服をつけることが可能になります。
“文字デザインは字体のスタイリスト”と考えることもできるのです。
1970年代から現在まで、各社、各個人が書体開発に取り組み、膨大に書体が作られています。視覚表現が多様である以上、使われる書体も多種多様となりました。
書体を作成する側はある程度、用途を想定をして文字を作りますが、最終的には使用者側の判断にすべてが委ねられています。
書体を作るには、まずは発想やイメージが必要です。
私なりに考えた書体の発想方法を3つ挙げてみます。
白紙に思いつくままにラフ案を沢山書いてみる。その中から良いものがあれば試作してみる。
書体のイメージを想定してから、それに合う字形を考案する。たとえば、かわいい文字、スリムで伸びやかな文字、明るく軽やかなもの、躍動感のあるもの、インパクトのあるもの、奇抜なものなど。
現在、世間で使用されている文字群の中から選んで変化をさせてみる。どこまで変えられるか多く試してみる。
こうした試行錯誤の中から、新たな書体が生まれることがあります。